大判例

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東京地方裁判所 昭和46年(ワ)5466号 判決 1972年10月18日

原告

福岡昭子

被告

日産火災海上保険株式会社

主文

一  被告は原告に対し金一二五万円およびこれに対する昭和四六年七月六日から支払済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は仮りに執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

(原告)

一  被告は原告に対し一二五万円およびこれに対する昭和四六年七月六日から支払済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言

(被告)

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決

第二当事者の主張

(原告)

一  保険契約の締結

訴外田中茂は被告との間で、同人が保有する小型乗用自動車(埼玉五ら九八〇九号)につき、保険期間を昭和四三年九月二六日から、昭和四五年九月二六日までとする自賠責保険の契約を締結した。

二  事故の発生

(一) 日時 昭和四四年八月二七日午後八時二〇分頃

(二) 場所 埼玉県越ケ谷市大間野八九二番地

草加バイパス

(三) 加害車 前記車両

右運転者 訴外田中耕作

(四) 被害者 右車両に同乗中の原告

(五) 態様 中央分離帯ブロツクに衝突

(六) 傷害の程度 右事故により原告は顔面割創、胸部打撲、右膝割創打撲、右前腕割創打撲、左眼角膜異物、左眼結膜下虹彩脱、瞳孔偏位等の傷害を負つたほか、身体状況の悪化により妊娠四カ月の胎児の人工妊娠中絶をした。

三  責任原因

訴外田中茂は家族の共同の目的に使用されていた加害車の所有者であり、実兄田中耕作をして同車を自己のため運行の用に供せしめていたものであるから、自賠法三条の責任があるところ、訴外田中茂は被告との間で前記契約を締結しているので自賠法一六条一項により、被告は後記原告の損害をその保険の限度内で支払う義務がある。

四  損害

(一) 治療関係費用 五五万六五二一円

(二) 消極的財産的損害金 五万六〇〇〇円

(三) 後遺症保険費 七五万円

(四) 慰藉料 六〇万円

以上一九六万二五二一円が原告に生じた損害である。

五  よつて原告は被告に対し、右金員のうち自賠責保険金額の限度内である一二五万円および訴状送達の日の翌日である昭和四六年七月六日から支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

六  被告の法律的主張に対する反論

(一) 原告と加害車の保有者である田中茂とはかつて姻族関係が存したにすぎず、原告には加害車の使用権はなく、又運転補助者でもなかつたから、自賠法三条の「他人」である。

(二) 夫婦間であつても不法行為が成立し、不法行為に基づく損害賠償請求権を行使しうるのであり、前夫田中耕作の過失および原告の負傷の程度はいずれも重大であるので違法性は阻却されない。仮りにそうでないとしても本件の如く離婚にまで陥り、家族生活が営まれなくなつた場合には損害賠償請求権の行使は当然認められると解すべきである。

(被告)

一  原告主張第一項の事実は認める。

同第二項の事実中(六)は不知、その余の事実は認める。

同第三項の事実中、訴外田中茂が加害車の運行供用者であることは認めるが、被告は保険金支払義務があるとの点は争う。

同第四項の事実は不知。

二  原告、訴外茂、同耕作らは自賠法三条にいう共同運行供用者であつて、原告は同法三条の「他人」に該当しない。

(一) 原告が夫の訴外耕作および夫の実弟訴外茂らと同居し、本件自動車を家族共同で使用していたことは原告の自認するところであつて、右三名は本件自動車の共同保有者たる地位にあつたものであるから、原告は自賠法三条にいう「他人」に該当しないというべきである。

(二) 仮に然らざるも、原告は事故当日は、夫の訴外耕作と共に本件自動車を利用していたものであつて、原告は夫の訴外耕作とともに本件自動車の共同保有者たる地位にあつたものである。

(三) 従つて、原告は自賠法三条の「他人」に該当しないから、訴外茂、同耕作が原告に対し、自賠法三条に基づき本件損害賠償責任を負担するいわれはない。

三  夫婦間、同居の親族間にあつては、特段の事情のない限り、不法行為責任は発生しないが、少くとも同損害賠償請求権を行使し得ないものである。

(一) 本来夫婦間にあつては、同居扶助の義務(民法七五二条)、婚姻費用分担の義務(民法七六〇条)、親子間にあつては監護教育義務(民法八二〇条)、直系血族および同居の親族間にあつては互助の義務(民法七三〇条)、直系血族および兄弟姉妹間にあつては扶養義務(民法八七七条)によりそれぞれ支配される関係にあり、離婚または離縁請求中の夫婦または養親子の場合における等特段の事情のない限り、第三者間を支配する不法行為法の適用される余地はない。

夫婦間、親子間、同居親族間その他の近親者間にあつては、愛情、情義関係が支配し、これらの愛情、情義に基づく財産的給付を伴うことにあるがこれらの財産的給付を権利義務の関係にまで高めているのが、同居扶助、婚姻費用の分担、監護教育、互助、扶養の各権利義務である。

これらの者の間にあつては、たとえ、身体傷害に伴う医療費の支出、物的損害に対する同種物品の提供等の事実があつたとしても、それらは法律的にみれば特段の事情のない限りこれらの婚姻費用の分担、監護教育、扶養義務の履行にすぎないのであつて、不法行為による損害賠償として支出提供されるものではない。

これら一連の扶助、監護、教育等の法理に支配される夫婦、親子その他の近親者間にあつては、これらの法理の適用されている限り、不法行為の成立する余地がないといえよう。

(二) 仮にこれら夫婦、親子、その他の近親間にあつても不法行為の成立は妨げられないとしても、これら一連の法理の適用されている限り、同不法行為を原因とする損害賠償請求権はこれを行使し得ないものである。

けだし、夫婦、親子、その他の近親間にあつては、仮に不法行為があるとするも、愛情、情義に基づく救済が先立ち、同救済が行われている限り、これらの賠償請求権の行使はこれらの近親間を規定する前記の扶助、監護、扶養等の公序に違反し、または法が維持せんとするこれらの近親間の愛情、情義を基胎とする家庭生活の平和を乱しかねないのであつて良俗違反となりかねないからである。

(三) 夫婦、親族間の不法行為のあり方あるべき姿は右の通りである。

これを純粋の個人間の問題としてばらばらに切り離して一般の法的主体間と同様の問題として取り扱うことは決して事実に忠実でないし、またこのような理解の仕方が個人の尊厳を紊るものでもなく、時代に逆行する家中心の考え方に依拠するものでもない。

それは民法自体の前提予想するところなのである。

(四) 本件にあつては、原告と訴外耕作が本件事故後離婚したとしても、事故当時、発生していなかつた不法行為責任が改めて生ずるわけでもなく、また原告主張の事故原因および本件事故による負傷の程度位では右離婚の正当事由とはなり得ないのであつて、事故当時行使し得なかつた損害賠償請求権が改めて行使し得るに至るわけでもないのである。

特に慰藉料については、本件事故及び傷害の態様、程度よりすれば、当時において既に宥恕しているのが通常であつて、それが離婚によつて復活するわけでもない。

又治療費等の現実の支出があつたとしても、それは原告の支出したものではなく、夫耕作の支出したものであろうし、而もそれは扶養協助義務の履行としてなされたものであつて、損害賠償としてなされたものではないから、自賠責保険金の対象となるものではない(自賠法一一条参照)。

三  してみれば、原告から夫である訴外耕作に対する損害賠償請求の許されないことは明らかであるし、訴外耕作に本件加害行為による損害賠償責任のない以上、これを前提とする自賠責保険にその損害填補義務のないことも明らかである。

自賠責保険は「被害者保護の立法とはいえ、傷害保険や生命保険ではなく(また社会保険でもなく)、責任保険の形式でその目的の達成を図るものであり、加害者に損害賠償責任のない場合にまで被害者またはその遺族に同法による救済を与え」得るものではないのである(青森地判昭和四五、二、一二判例時報五八七号一四頁)。

よつて原告の請求は失当であり棄却されるべきである。

第三証拠関係〔略〕

理由

一  被告と訴外田中茂との間で、被告を保険者とし、同訴外人を被保険者とし、同訴外人が保有する自動車(埼玉五ら九八〇九号)について原告主張の自賠責保険契約が締結されていることおよび右契約の保険期間内に同車によつて原告主張の事故が発生したことは当事者間に争いがなく、〔証拠略〕から、原告がその主張の傷害を蒙つた事実、および後遺障害としては顔面が耳から口まで裂けたため、その後が線状痕として残り、前額部も中央に横六・七センチメートルの線状痕が残つているほか、視力は左右とも一・二であつたのが、左が〇・五~〇・三になり、明るい場所だと虹彩が働かずよく見えない状態であることが認められる。右後遺障害の程度は一応自賠法施行令後遺障害等級七級一二号に該当するものと解される。

二  訴外田中茂が本件自動車の運行供用者であることは当事者間に争いがない。

ところで被告は、原告が訴外田中茂および訴外田中耕作と共同運行供用者の関係にあるから、自賠法三条の「他人」に該当しない旨主張する。原告が事故当時本件自動車の運転者田中耕作の妻であつたこと、訴外田中茂は田中耕作の弟であることは原告の自陳するところである。しかしながら〔証拠略〕によると、原告は運転免許証を有してはいたが、本件自動車を運転することはなく、たまに助手席に同乗する程度で、普段は訴外茂の通勤用、レジヤー用として使つていたものであること、本件自動車は訴外茂が月賦で購入したもので、原告が右費用を出捐したことはないこと、事故当日原告が本件自動車に同乗したのは、当時原告は夫耕作と性格不一致の理由で別居していたが、夫耕作は弟茂の車で原告を連れ戻しに行つたことによるものであること、(本件事故後訴外耕作と原告とは再び夫婦生活を営むことなく、そのまま協議離婚に移行し、昭和四六年四月一九日離婚の調停が成立した)の各事実が認められる。右事実によると、偶々同乗したことがある程度の原告に本件自動車の運行支配が帰属しているとは認めがたい。よつて原告は本件自動車の運行供用者とは言えないので、この点に関する被告の主張は採用することはできない。

なお、被告は夫婦間・同居の親族間については原則として不法行為責任は発生しないか、少くとも損害賠償請求権は発生しない旨主張するが、そのように解すべき理由はない(最判昭和四七年五月三〇日判例時報六六七号三頁以下参照)。ただ近親者間において、極めて些細な事柄や、お互に責められる点がある場合には家庭生活を維持していく必要上、宥恕され、あるいは違法性が阻却される場合があるにすぎないが本件は前認定の事情にあるから、そのような場合にあたらない。

そうすると原告は被告に対し、自賠法一六条により法定限度内において、後記の損害の填補を求めうることになる。

三  損害

原告に生じた損害は次のとおりである。

(一)  治療関係費

〔証拠略〕から、原告は本件事故で蒙つた傷害の治療のため治療費、入通院費として五一万九五二一円、眼鏡代として一万一八〇〇円必要であつたことが認められる。

(二)  消極的財産損害金

原告は右について算出の基礎となる具体的な事実の主張はなく、就労していたことも認めるに足りる証拠もないので認められない。

(三)  慰藉料

前記原告の傷害の部位程度、後遺障害、訴外耕作らとの事故当時の身分関係、本件自動車に同乗するに至つた経緯等諸般の事情を考慮すると、後遺症に対する補償も含む慰藉料は、原告の請求金額である一二五万円と前認定の治療費等五一万九五二一円との差額を超過することは明らかである。(慰藉料につき身分関係を考慮して通常の半分としても八〇万円を超える。)

四  よつて原告が被告に対し、自賠責の法定限度内である一二五万円およびこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和四六年七月六日から支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める本訴請求は理由があるので認容することとし、訴訟費用の負担については民訴法八九条、仮執行の宣言については同法一九六条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判官 新城雅夫 佐々木一彦 坂井芳雄)

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